Tuesday, January 22, 2008

web上の情報共有に関する極勝手な解釈

School road

スクールゾーンってよくわからん英語だ。
通学路でいいような気がする。

明後日から横浜です。こっそり明日は東京。
先生の話によると中華街リベンジするらしい。
去年失敗したからなぁ。

絶対可憐チルドレンがアニメ化するらしい。
個人的には週間少年誌の中ではかなりクオリティ高いと思ってるんだけど
アニメはどうなるんだろう。

ちょっと前からだけど
タンブラーでの著作権違反がタンブラ上で話題になっていたりする。
実際に法的にどうとか倫理的にどうとかという話は置いといて。
インターネットの起源を考えればそもそもの目的が論文(情報)の共有だったわけで
ネット上の情報は全て共有されるために存在すると思う。当たり前の話。
だってインターネットなんだもん。
そういうインターネットの前提に対して現実世界の尺度で著作権が云々とか
ひたすらアホらしい話にみえるわけですよ。
自分のwebサイトで公開しているイラストをReblogされて怒るイラスト作者とか
何を考えているのか分からない。
自分の描いたモノがネット上に拡散するのは(需要があるなら)当たり前すぎるほど
当たり前で倫理的に良いも悪いも関係なく拡散していく。
それがそもそもインターネットの役割だし、普通は拡散させたいがために情報を公開する。
誰かに見せたいから公開したんじゃないの?という話。
自分の描いたモノが自分の手を離れて遠くに行ってしまうのがいやなら
まずwebサイトでの公開をやめるべきでしょう。

2 comments:

Anonymous said...

インターネットの起源がどうであれ、CERNでWWWが形作られた当時と現在とでは、インターネットの仕組や本質や状況が大きく変化しており、情報の共有に関して同一には語れないのではないでしょうか?
また、タンブラーなどに引用された画像はリサイズされたり再圧縮されたりすることにより画質が劣化する方向で改変がなされていること、そして著者が望まない形でのレイアウト、他人の作品やわいせつ画像と並置されること、著者のクレジットが明記されない場合があること、などが問題であり、それについて原著作者が困惑あるいは不快に感じるのは当然のことだと思います。
タンブラーなどでリブログを繰り返され画像やテキストが拡散していくことによるメリットはありますが、その一方で上に述べたように、情報の劣化が生じるデメリットもあるのではないでしょうか。
インターネットによる情報の発信や流通については、法的にも技術的にもリテラシーにおいてもより改善され発展され問い直し続けることが必要な問題であると思います。
タンブラーなどによるリブログがインターネットにおける情報の発信の理想形であるというような楽観的な論調は間違っていると思います。

Konishiroku said...

ご意見ありがとうございます。

別にリブログが情報発信の理想形であるとは思いません。
ウェブの発展がどのような形でなされてきたか詳しくは知りませんけど、そもそもの目的が情報を広めるという前提なわけでそれは今も昔も変わらないでしょう。
そこを抜きにしてインターネットの起源より遥か昔からある著作権の話を持ち出してもしょうがないんじゃないの?
というのが私の感想です。

>インターネットによる情報の発信や流通については、法的にも技術的にもリテラシーにおいてもより改善され発展され問い直し続けることが必要な問題であると思います。
これは非常にごもっともだとは思いますが結局技術のスピードに法もリテラシーも追いついてないのが現状で、モラルの問題に回帰してしまうのは仕方ないのかもしれません。